~大野川流域に磨崖仏を訪ねて~ 平成30年7月1日(日曜日) (さらに…)
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~大野川流域に磨崖仏を訪ねて~ 平成30年7月1日(日曜日) (さらに…)
4月22日(日)に「第34回おおいた魅力体験ツアー」が開催されました。
今回は「~初夏の国東六郷満山に1300年の歴史を想う~」というテーマで国東半島を巡るツアーでした。
はじめに日出町の願成就寺を訪れました。願成就寺は六郷満山を開いた仁聞菩薩が最後に開いた寺院だそうで、立派な山門がお出迎えをしてくれました。
仁聞菩薩とは、宇佐八幡宮の神様の化身(生まれ変わり)として現れ、この国東の地に神仏習合の原点となる寺院群を1300年前に開いた方だそうです。
今回のツアーはの山路会員に解説していただきました。
そして、本堂では住職さんがお寺の事など詳しいお話しをしてくれました。
また、2018年は六郷満山開山1300年の節目のため、お寺さんによっては非公開文化財の特別公開をおこなっており、願成就寺の本堂でも秘仏を拝見することが出来ました。
ブログに秘仏を載せることは出来ませんので、ぜひ願成就寺を訪れてみてください。
バスの中でも山路会員が六郷満山についての話しを沢山してくれました。
六郷満山とは、「六郷=六つに分けた郷」と「満山=たくさんの寺院群」という意味だそうです。
なお、今回のツアーは中型バスですが補助席も含め満員でした。
続いて、豊後高田市にある無動寺(豊後高田市)へ
無動寺は六郷満山中山本寺の一つで、修行や祈祷をおこなう場所だそうです。
六郷満山では、本山(もとやま)は勉強をおこなう場所、中山(なかやま)は修行をおこなう場所、末山(すえやま)は布教をおこなう場所というように、お寺の役割が3つに分けられているそうです。
そして、無動寺の堂内には不動明王坐像をはじめ県指定有形文化財の木造坐像が多数安置されています。
この日は「お接待の日」ということで、願成就寺でもそうでしたが無動寺でもお茶やお菓子を頂きました。
移動の道すがらにも「お接待」の赤い旗が掲げられていました。
写真にも写っていますが無動寺の横に神社の鳥居があります。この鳥居の先に石段があり、登って行った先に身濯神社があります。無動寺では、神様と仏様が隣り合う神仏習合の六郷満山の文化をも感じることが出来ます。
お楽しみの昼食は国見町にある涛音寮(とういんりょう)へ。
お店に着くと女将さんが涛音寮のことなどを教えてくれました。
涛音寮は立派な木造3階建ての建物で明治時代に造り酒屋の母屋として建てられたそうです。今では食事が出来たり屏風など地元の作家さんの作品が展示販売されています。
お料理は「くにさき神仏料理」のたこ飯御膳です。
お天気もいいため庭に面した縁側で食事をすることも出来ました。
お食事の後は、涛音寮の2階、3階を見学させてもらい、3階からの見晴らしはとても素晴らしかったです。
午後からは吉田会員(国東市教育委員会並びに国東半島1300年祭実行委員会事務局長)も加わり案内をしていただきました。
お昼のあとは、五辻不動尊へ行きました。
五辻不動尊は仁聞菩薩が4人の共を連れて登り修行を行った場所だそうです。
ここは駐車場を降りてから10分ほどの山を登るため、行く組と待機組に別れることにしました。
行く組は、せっせと山の中へ。
岩の上を歩くなど大変な道のりでしたが、登った先には美しい景色が広がっていました。
待機組は駐車場傍の休息所へ。
休息所では下のお寺より住職さんが、お接待用のお茶や赤飯を運んで頂いており休息所でお接待を受けながら行く組の帰りを待ちます。
下山したメンバーも休息所へ。
住職さんのお話しを聞きながら、お赤飯を食べてしばし休憩。
続いては、泉福寺へ。
泉福寺は1375年に田原氏能の母無伝尼(むでんに)の発願により無著妙融(むちゃくみょうゆう)禅師を開山として創建された曹洞宗のお寺さんです。なお泉福寺は曹洞宗における九州の総本山だそうです。
茅葺屋根が素敵な泉福寺の仏殿(国指定重要文化財)は室町時代の1524年に建立されたもので、禅宗様仏殿として九州最古の仏殿だそうです。
同じく国指定重要文化財の開山堂といわれる建物も、現在特別拝観することが出来ます。この建物の中の奥に開山堂があります。
そして、泉福寺山門前にて集合写真を撮りました。
最後のお寺さんは神宮寺です。
到着すると住職さんが鐘や法螺貝を吹いて、お出迎えしてくれました。
神宮寺も仁聞菩薩開基で布教をおこなう末山にあたるそうです。
とても面白い住職さんで本堂の中で外でと、たくさんお話しをしていただきました。
最後に、里の駅むさしに立ち寄り本日のツアーは無事に終わりました。
本日は天気も良く気温もぐんぐん上がり、テーマ通りまさに初夏を感じながら歴史に想うツアーとなりました。
本日参加出来なかった方も、ぜひ国東半島を訪れて六郷満山文化を感じてみてください。
平成29年10月29日(日)に第3回となるおおいた遺産モニターツアーが開催されました。
今回は玖珠・九重方面のおおいた遺産を巡るツアー、
はじめは玖珠町の「わらべの館」へ行きました。
現地で玖珠町教育委員会の森さんと合流後、最初は同じ敷地内にあります旧久留島氏庭園へ。
こちらの庭園は「藩主御殿庭園」と「栖鳳楼庭園」、「清水御門前庭」の3つから構成されており、
現在、国の名勝に指定されております。
そして、こちらの庭園はここから3つの「国指定」を見ることができます。
もちろん一つは「旧久留島氏庭園」、
残りの二つが史跡で国の指定を受けている「角牟礼城跡」と天然記念物で国の指定を受けている「大岩扇山」になります。
当日は雨だったため、どちらも現地へ行くことはできませんでしたが、一か所で3つの国指定が見れるということで、
こちらの庭園はとても人気があるそうです。
こちらの写真の奥の山が角牟礼城跡があります角埋山になります。
霧がかかってほとんど見えなかったのですが、先ほどの写真の反対を向いた方角が大岩扇山になります。
晴れていれば、現在角牟礼城跡にて修復が行われております穴太積みという石垣を見る予定でしたが、
あいにくの雨だったため、わらべの館内にて、角牟礼城跡や久留島氏について、お話を伺いました。
角牟礼城の築城に関しましては源為朝が造ったという伝説が残っておりますが、
確実な名前が出てくるのは15世紀ごろの文献からになります。
その頃の玖珠周辺は森氏が納めており、森氏の居城として代々受け継がれていきました。
大友時代の戦乱では薩摩の島津軍が豊後へ攻め入った際、
他の城が次々と落城する中、岡城などとともに生き残った数少ない城の一つでした。
そんな角牟礼城跡が注目されるきっかけとなったのが、前文でも記しました「穴太積み」という石垣になります。
穴太積みとは自然石を積み上げた野面積みの石垣なのですが、滋賀県大津の穴太という地域にいた石工集団である「穴太衆」が手掛けた石垣のことを指します。
さて、代々森氏が納めていた玖珠周辺の森藩ですが、関ケ原の戦い後は愛媛県の伊予から来た久留島氏が藩主となります。そして、久留島氏庭園などが築かれていく、という流れになります。
こちらでは福岡教育大学名誉教授の清田義雄氏が収集した全国の郷土玩具が展示されておりました。
続いては豊後森駅機関庫へ。
こちらの転車台と扇状の機関庫が特徴的なもので、近代化産業遺産に認定されております。
上記写真の中心にあるのが転車台で、こちらに機関車を乗せ、回転をさせていたそうです。
そして、機関庫に等間隔に設置されている柱の間が機関車の格納場所となるため、
転車台で各格納庫の場所まで回してから、機関車を入れていたそうです。
豊後森駅機関庫の見学後は玖珠町から九重町へ移動し、昼食会場へ。
今回の昼食は「渓流の味 たなべ」さんにて特製エノハ御膳をいただきました。
昼食後は色付き始めた紅葉と幾本も流れる滝を眺めらながら九酔渓を通り過ぎ、
次なる目的地である「九重夢大吊橋」へ。
午後になり何とか雨はやんでいたのですが・・・
写真のように、霧がかかった状況でした。
晴れた日であれば、今の時期はきれいな紅葉が大パノラマで広がっているのですが・・・。
何とか合間に吹く風によって見えた滝が下の写真になります。
夢大吊橋の後は今回のツアー最後の目的地となる長者原ビジターセンターへ。
こちらには国際的に重要な湿地に関する条約である「ラムサール条約」に登録をされた坊ガツル・タデ原湿原について展示などがされております。
はじめに湿原でおこなわれている野焼きに関する映像を観ました。
映像では今日も野焼きを続ける理由について説明がされておりました。
くじゅう山群の人々にとって、その生活は牛や馬が農業の動力として重要な役割を占めていました。
その牛や馬を放牧するためにも、草原というものが必要不可欠となります。
もし、草原に人の手が入らない(野焼きをしない)状況になると、
みるみる木が生い茂り、森林となってしまいます。
そうなった場合は牛や馬の放牧がおこなえなくなってしまうため、野焼きによって草原を保ってきました。
農業に機械が取り入れられる前は、日本もいろんな所で野焼きがおこなわれていましたが、
現在は農業の機械化が進み、野焼きをやる地域も減少しているそうです。
そうした中でも、こちらの湿原が野焼きを続けるのには、今の生態系を守るため、という理由があります。
例えば「ヒゴタイ」という日本ではくじゅうをはじめ一部の地域でした生育していない植物がありますが、
こちらは中国などの大陸に生育する植物になります。大昔に大陸と日本が繋がっていたという貴重な情報を持った植物であります。こういった、くじゅう独特の生態系を守るため、現在も野焼きによる保全がおこなわれているそうです。
さて、こうした保全活動の一つで現在問題となっているのが、特定外来生物の存在です。
タデ原湿原でも「オオハンゴンソウ」などの生育が確認されており、職員の皆さんや地域の方、ボランティアの方の手によって、現在駆除活動がおこなわれているそうですが、それでも手が足りていない状況とのことです。
もとは観賞などの目的で海外から輸入された動植物が、本来いる生物たちの生態系を壊してしまうという状況に、現在は外来生物法という法によって、栽培や飼育・運搬・保管が禁止されており、違反をすると罰則があるとのことです。
もし、特定外来生物に指定されている動植物を見かけた場合は、拡散を防ぐために適切な処理方法をおこなう必要があるそうなので、皆様もお気を付けください。
最後は小雨でしたが、タデ原湿原を少し歩きました。
今回は入り口まででしたが、晴れた日はウォーキングコースを歩き、様々な植物や昆虫を眺めることができます。
また、花の見どころは5月から9月ということでしたが、
冬から春にかけては上記しました野焼きがおこなわれたりします。
くじゅうの言葉で「春は黒」という言葉があるそうですが、こちらは野焼きで黒くなった山を示しているとのことです。
今回のモニターツアーでは玖珠・九重方面を巡りましたが、一部天候に泣かされる場面もありました。
晴れた日であれば、紅葉も色づく今は、まさに観光に適した季節だと思いますので、
皆様も是非、これからの季節の玖珠・九重を楽しまれてください。
さて、次回のモニターツアーは年内最後になりますが、12月17日に毛利空桑を中心とした大分市内のツアーを計画しております。
詳細につきましては11月25日の大分学研究会例会にて発表いたします。
また、25日の例会は11月3日におこなわれます「第5回しんけん大分学検定」の表彰や、
その際におこないます「大分学検定イメージキャラクター選挙」の結果発表などもおこなう予定となっております。
平成28年5月15日に「第22回おおいた魅力体験ツアー」が開催されました。今回は「姫島にアサギマダラを訪ねて」というテーマで姫島村を訪れました。
姫島村は国東半島の東に位置する人口約2000人の島で、「姫島七不思議」や「ジオパーク」、そして今回のテーマである「アサギマダラ」など様々な魅力があふれる場所です。今回は、大分県庁の恒賀健太郎会員のご案内のもと姫島の魅力を堪能するツアーとなりました。
国東半島の伊美港よりフェリーに乗船し、いざ姫島を目指します。天気にも恵まれ、潮風が気持ちよかったです。
島に到着後、「アサギマダラ」の休息地である「みつけ海岸」に向かいました。「アサギマダラ」は過ごしやすい環境を求めて、季節ごとに約2000kmを旅する渡り蝶です。蝶の羽に捕獲した場所と日付を記載して放ち、別の場所で再捕獲することで、生態を把握する「マーキング」と呼ばれる調査により、北は北海道や樺太、南は鹿児島の奄美大島や台湾まで、移動をしていることが分かっています。姫島はその旅の休息地として、5・6月頃と10・11月頃の年2回多くのアサギマダラが飛来します。しかも、5・6月頃は、海岸沿いに植生する「スナビキソウ」、10・11月頃は山中に植生する「フジバカマ」にと季節により違う植物の蜜を吸う習性があります。今回は、みつけ海岸に植生する「スナビキソウ」に集まったアサギマダラを鑑賞しました。「スナビキソウ」は毒性をもつ植物で、生殖活動のためアサギマダラは毒性があるスナビキソウの蜜を吸うそうです。ちなみに「マダラ」とは「毒」を表す言葉だそうです。また、姫島が「スナビキソウ」の植生の日本の南端に位置するため、多くのアサギマダラが姫島に飛来するのではないかと考えられています。
みつけ海岸から「姫島七不思議」のひとつ、満潮時でも海に沈まない「浮洲」も見ることができました。
バスで移動しながら、車中より「姫島七不思議」の「逆柳」と「かねつけ石」を見学しつつ、同じ七不思議のひとつ「拍子水」温泉に到着しました。「拍子水」は、かつて姫島の由来ともされるお姫様「比女語曽の神」がお歯黒をつけた後、口をゆすぐ水がなかったので、手拍子を打って祈ったところ、岩の間から水が湧いてきたとされています。湧き上がっている「拍子水」は24.9℃の炭酸泉で、飲用することができます。
「拍子水」のすぐそばの崖には、姫島の特徴である縞模様の岩壁があり、見学することができます。溶岩が固まり岩になる際に、粘性が強いとこのような縞模様が形成されるそうです。
拍子水を出発し、海岸沿いを移動すると姫島の地層が分かる「大海のコンボリュートラミナ」に到着しました。この層内褶曲は、火山活動や地震等による振動で、上下の硬い地層に挟まれた軟弱な堆積物中の水が液状化現象により排出され、地層内部の構造が複雑に変形してできたと考えられています。また、地震で生じた断層なども確認さることができ、姫島の「島」の成り立ちを感じることができました。
露出した地層をを見学しながら徒歩で移動すると「鷹の巣」と呼ばれるボコボコと穴の空いた「海蝕崖」に到着しました。雨水や海の波などで浸蝕されてできた崖面で、現在この穴に「ハヤブサ」が巣をつくってるとのことで、皆でハヤブサを探しましたが、残念ながら発見することができませんでした。しかし、鳴き声は聞くことができ、ハヤブサの存在を感じることができました。
バスで移動し、昼食会場の「ロッジ姫島」さんに到着しました。昼食は姫島の特産品の「車エビ」御膳。車エビのしゃぶしゃぶをはじめ、エビフライや塩焼きなど車エビづくしの豪華な昼食となりました。また、姫島村村長 藤本昭夫村長より「地だこ」の差し入れをご提供いただき、ゆでだこを堪能しました。
昼食後は、観音崎火口跡とその先にある姫島七不思議のひとつ「仙人堂」がある観音崎を目指し、トレッキングをおこないました。観音崎火口跡はもともと火口だったところが現在では海に沈んでいる場所です。また、この場所から奥の夫婦岩ごしに見える瀬戸内海は、幕末の下関戦争の際に、伊藤博文や勝海舟らが集結したイギリス・フランス・オランダ・アメリカの四か国連合艦隊を望んだ場所でもあります。ちなみに、夫婦岩には、現在猛禽類の「ミサゴ」が巣を作っており、ミサゴの家族を見学することができました。
展望台を抜けると、馬頭観音像を祀る「仙人堂」がある観音崎に到着しました。この周辺は、国の天然記念物に指定されいる姫島産の「黒曜石」が囲んでいます。かつて石器として使用されていた姫島産の「黒曜石」は、特徴として乳白色で中に「ガーネット(ザクロ石)」を含んでいるとのことで、黒曜石の中にあるガーネットを探しました。針の先ほどのガーネットの粒でしたが、見つけることができました。
最後に、自民党副総裁を務めた姫島村出身の西村英一先生の記念碑がある西村記念公園を訪ねました。記念碑の碑文は元総理大臣 田中角栄先生が描かれたもので、造立際には、クレーン2台で立てたとされる大変大きなものでした。
今回のツアーでは、姫島の自然と歴史を学ぶことでき、姫島の魅力を堪能しました。姫島村 藤本昭夫 村長をはじめ、ご案内いただいた恒賀健太郎会員ならびに、ご協力いただいた姫島村の皆様に心より御礼申し上げます。
2016年最初の「おおいた魅力体験ツアー」を2月28日の日曜日に開催されました。
今回は『竹田のキリシタン遺跡を訪ねて』というテーマのもと、竹田市南蛮文化振興室長の後藤氏を講師に、竹田市のキリシタン関連遺跡を巡り、最後には佐伯市宇目にあります「ルイサの墓」を訪れました。
当日は快晴で絶好のツアー日和でした。
はじめに訪れたのは「原のキリシタン墓碑」。
長湯温泉の近くに所在するこちらの墓碑は現在県史跡の指定を受けており、
全国的にも珍しいT十字に「INRI」という文字が刻まれております。
この墓碑は大友宗麟時代の直入の豪族であった「朽網氏」の墓石にとりつけられていたものと考えられております。
ルイス・フロイスの文献ではこの直入の地は豊後の中でも早い時期に教会が建てられており、宣教師たちにとって重要な地だったと考えられております。
その理由としましては「温泉」と、そこからとれる「硫黄」だったのではないかと言われております。
こちらはバチカン駐日大使が大分県竹田市に来られた際に植樹された椿になります。
次に訪れたのは竹田市歴史資料館。こちらでは副市長の野田氏が出迎えてくださいました。
こちらは資料館の外に飾られている「サンチャゴの鐘」のレプリカ。
このレプリカは実物の成分分析や3次元計測をおこない、
本物と同成分・同寸法で造られたもので、誰でも気軽に鐘をつけるようになっております。
なお、本物に関しましては、現在資料館の中で展示されております。
こちらの「サンチャゴの鐘」、もともとは長崎県のありました「サンチャゴ病院の付属教会」に取り付けられていたものと考えられておりますが、
どういった経緯で竹田の地に来たのか、詳細についてはまだ謎の部分が多いようです。
続いては「竹田創生館」。こちらでは「聖ヤコブ像」や「山の神」、先程の「原のキリシタン墓碑」のレプリカが展示されております。
これら4つはすべてレプリカなのですが、本物と見間違えるほど精巧に作られております。
右端にありますのが「聖人ヤコブ像」頭部のレプリカですが、
「ヤコブ」のスペイン語が「サンティアゴ(サンチャゴ)」になります。
当日は「岡藩城下町雛まつり」が開催されており、
中一面にひな人形が飾られておりました。
竹田の風情ある街中を歩き、次の目的地である「洞窟礼拝堂」へ。
こちらが「キリシタン礼拝堂」。
現在は周囲が開けておりますが、平成24年までは暗い森の中だったそうです。
現在は扉に鍵がかかっておらず、誰でも中に入って見学ができるようになっております。
現在竹田市で洞窟礼拝堂と考えられている場所には
①五角形の入り口 ②左右どちらかに集会場のような大型の窟 ③綺麗な湧き水が出る
という3つの共通点があるそうで、バチカン駐日大使が来られた際は
特に「綺麗な湧き水が出る」という点を重要視されていたそうです。
続いてはバスに乗り、少し離れた「おたまや公園」へ。
こちらは岡藩主中川家の墓地がある公園になります。
こちらの墓地内にあります石塔の笠の裏側には十字とダイヤがほられているようです。
こちらの墓地内に謎の蒲鉾型の墓石が2つありますが、
誰のものなのか、なぜ藩主墓の敷地内にあるのかは不明のようです。
他の藩主墓と異なり、蒲鉾型の石が使われております。
お次は昼食で「食事処おおつ」さんへ。
こちらは岡藩時代の大庄屋屋敷跡で、現在はその家系の方がお食事処を経営されております。
お屋敷のすぐ隣には宣教師が隠れ住み、火薬を製造していたと考えられる窟があります。
右が居住、左がトイレになります。
左の窟の奥には下の写真のような穴があります。
この穴を利用して、排せつ物から硝石、そして最初に書きました温泉の硫黄を材料に、火薬を製造していたと考えられております。
宣教師たちが隠れ住んでいた窟を見学した後は、いよいよ昼食。
今回は山の幸満載の竹田ご膳をいただきました。
こちらの「おおつ」さんの家にはご先祖様が使用した甲冑やなぎなた、刀、大筒の弾などが残っており、
現在の家の中に飾られております。
こちらの甲冑は朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、大坂冬の陣の際に、
実際にご先祖様が身に着けられたものになります。
昼食の後、最初に訪れたのは「鏡処刑所跡」です。
こちらは江戸時代に多くのキリシタンが処刑されたところで、
もとは3つの墓碑が建てられておりました。
しかし、洪水の際に左端の墓碑が流されてしまい、
現在はそのあとに見つかった墓碑の一部だけが現地に建てられております。
こちらの墓碑のうち、右端にあります「南無妙法蓮華経」と書かれた墓碑の漢字が、
一部通常とは異なった彫り方がされております(華など)。
このような彫り方が何故されたのか、何を意味するのか、現在もその真意は不明であります。
お次は竹田市を飛び出し、最後の目的地、佐伯市宇目にあります「重岡のルイサの墓」へ。
このような大きな1枚岩が使われている点など、この「ルイサ」という人物についてもまだまだ謎が残っております。
今回は竹田市から最後は佐伯市宇目のキリシタン遺跡を巡るツアーでした。
キリシタンの歴史につきましては「隠れキリシタン」という独特な文化のもと、
記録がほとんどない状況のため、まだまだ謎が多く残っております。
従来はキリシタン文化=長崎や熊本といったイメージが強い中で、
実は大分(豊後)もかなり盛んだったということを感じられるツアーでした。
12月20日 日曜日、おおいた魅力体験ツアーがおこなわれました
第20回目を数える今回は大分市
新日鐵住金大分製鉄所、徳応寺(幕末、坂本龍馬・勝海舟が宿泊した寺)、大分県漁協佐賀関支店荷捌き所、関崎展望公園、亀塚古墳、勝海舟・坂本龍馬石像、毛利空桑記念館、参加者24名、久しぶりの社会見学気分で大分市の魅力を体感すべく回ってきました。
今回はコースの中で大分学検定の過去問を2問ほど振り返り、問題の内容を間近で確認できる有意義な企画でした。
残念ながら高炉内は撮影禁止ですが、工場構内をバスで移動の際は所員の方が鉄が出来るまで過程や、構内設備、新日鐵住金の歴史を詳しく説明してくださいました。ジオラマでまずは構内の施設を確認。
冬なのに工場内はできたての鉄板が通るたびに熱い空気が。
皆さん熱心に見学されていました。
続いて徳応寺。
徳応寺では15世東光爾英住職が坂本龍馬が本名を記してい本当に貴重な資料を公開して説明してくださいました。
坂本龍馬が珍しく本名で記していた貴重な資料(右から7番目)。
当時はカメラがないため、スケッチで様子を書き残していたんですね
蒸気船が通っていたら地元の人たちもさぞかしびっくりしたことでしょう。
続いては大分県漁協佐賀関支店荷捌き所へ
第3回大分学検定で出題された関アジ関サバの取引きの様子「面買い」が直接見られました。
漁を終えた船が着きました。
漁師さんが魚種ごとに水槽へ
お楽しみの昼食会場
全国ブランドの関アジ関サバ
いくら大分県民でも改めて食すとあればテンションが上がります。
これが1人前!
急に空が曇ってきました。
天気が良いとここの眺めは最高でしょうね。
2階がレストランで1階が地元の特産物販売所になっています。
関アジのフライが美味しそうでした。
続いては関崎展望公園
ここは第2国土軸計画の一つである九州と四国をつなぐ豊予海峡ルートが一望できる場所です。
橋梁でつなぐか、海底トンネルでつなぐか、
かつてはこの第2国土軸計画について盛んにこの計画が議論されていました。
展望公園内にある関崎海星館の中へ
豊予海峡の海底。美味しい魚が捕れる理由がここにもあったのです。
ここは天文台の設備があって海を真下に、宇宙を観察することが出来る九州でも有数な望遠鏡があります。
定期的に観測会もおこなっているようです。
国指定史跡亀塚古墳。
大分県内では最大規模の古墳です。
この地域の海岸一帯を治めていた海部の王の墓だと言われています。
海部古墳史料館には発掘調査の際に出土された貴重な遺物が展示されています。
最後は勝海舟・坂本龍馬石像と毛利空桑記念館
辻野功先生も完成を楽しみにしておられた石像が今年落成しました。
この二人が大分佐賀関に入り、野津原、熊本、長崎までをたどった歴史を伝えるにふさわしい、行く先を見据える二人のたくましく、力強い佇まいを表現しています。
そのそばにあるのが毛利空桑記念館。
毛利空桑
「文ありて武なきは真の文人にあらず。武ありて文なきは真の武人にあらず」を信念とし、
開いた私塾知来館は県指定文化財になっています。
湯布院や別府などといった観光地と比べて印象が薄いと思われがちな大分市
産業都市でありながら、全国ブランドをもち、歴史文化のバラエティに富んでいることが今回のツアーで良くお分かりいただけたかと思います。
10月25日に第19回「おおいた魅力体験ツアー」が開催されました。今回は「奥豊後の石と水」をテーマに現存する石橋の数が日本一の豊後大野市と水の郷竹田市を巡りました。
はじめに訪れたのは豊後大野市に所在する「虹澗橋」。日本一の石橋数を誇る大分県ですが、県内で唯一、国の重要文化財の指定をいるのがこちらの「虹澗橋」です。
江戸時代に三重(豊後大野市の地域)と臼杵を結ぶ街道の途中にあたるこの場所は、橋が架けられる前は「柳井瀬の渡り」と呼ばれ、最大の難所でした。そのため、ここに橋を設けるため、地元の豪商3名が私財を投じ、橋の建設がおこなわれました。
工事に関する資料がほとんど無い為、石切り場など不明な点もまだあるようです。
次に訪れましたのは日本で1番長い径間(アーチ)の「轟橋」と2番目に長い「出会橋」。2連アーチの方が「轟橋」になります。
「出会橋」は大正に人道橋として、「轟橋」は昭和に伐採した樹木の運搬鉄道用の橋として建設されました。
両石橋の架かる渓谷は「阿蘇溶結凝灰岩」の柱状節理によって、大きな溝のように深い谷になっております。
そのため、アーチの長い石橋が建設されました。
昼食は久住高原にあります「ザ・ガンジー ホテル&リゾート」にて「久住高原牛」のステーキをいただきました。高橋鴿子会員の発声によりワインで乾杯して楽しい昼食が始まりました。
このホテルを経営する「(株)まるひで 」の社長で、当研究会の小野秀幸理事があいさつに来られ、ワインを始め飲物を追加してご提供いただきました。ありがとうございました。
昼食後には久住ワイナリーにてちょっとしたお買いものタイム。
ツアー当日の青空が久住の山とブドウ畑に映えておりました。
午後からは名水の郷、竹田市へ。
白水ダムにいく通り道、竹田市の伝統品である姫だるまの工房へお邪魔しました。
姫だるまは江戸時代に実在した武家の女性の話がモデルとなっている民芸品で、家庭円満などのご利益があり、竹田市ではお正月に家に投げ入れる風習があるそうです。
背中の模様は「宝珠」で厄除けなどのご利益もあるとのこと。
テレビ番組の影響で、全国的にも有名になった姫だるまですが、
現在、制作をしておられるのはコチラの後藤姫だるま工房さんのみとなってしまったそうです。
突然の訪問であったにもかかわらず、色々とお話を聞かせてくださった後藤さん、ありがとうございました。
後藤姫だるま工房さんの次は今回のツアーの目玉である白水ダムへ行きました。
こちらは豊後大野市富士緒井路の施設で、国の重要文化財の指定を受けております。
昔は現地まで続く道がありませんでしたが、平成19年に白水ダムをみる人のために道が整備され、現在は近くまで車で行くことができるようになりました。
まさに「白水」の名の如く綺麗で雄大な水の流れは、是非現地で見ていただければと思います。
白水ダムの後は白水の滝へ。
先程のダムは「はくすい」ですが、こちらは「しらみず」と読みます。
駐車場から600mほど山を登るのですが、その途中にも壁から流れ出す小さい滝がいくつもあり、行楽シーズンにはうってつけの場所でした。
「白水の滝」の名称についてですが、壁から流れる糸のような滝の数が99本だったため、「百」から一本少ない「白」の名前がついたという説があるそうです。水路ができてからは流れる水の量が減ったようですが、現在も多くの水が壁の隙間から流れ出しております。
「白水の滝」のすぐ近くにあるのが音無井路の「円形分水」。
こちらは地区の水争いを解決するために建設されたものだそうです。
水路の水をいったん地下へ流し、サイフォン式で円の真ん中に汲み上げ、田畑の面積に応じて流す水の量を調節するようになっております。
こちらの水路は1715年に一度建設の工事をおこなうが失敗し、その後100年以上たってから現在のような水路が建設されたとのこと。
案内板に書かれた「水は農家の魂なり」の言葉がとても重く感じました。
最後に行きましたのが水路としては日本最大級の「明正井路六連橋」です。
こちらはその名の通り、6つのアーチから成る石橋です。
見学時は稲刈りも終わりの時期だったため、水路に水が流れておりませんでしたが、
春から夏の稲作の時期は、竹田から引いた水がこの石橋の上を通って豊後大野市の田圃へ送られております。
今回のツアーでは「奥豊後の石と水」をテーマに豊後大野市と竹田市の石橋や水路を巡りました。
次回のツアーは12月を予定しておりますので、ご参加を希望される方は事務局までお問い合わせください。
8月30日に第18回「おおいた魅力体験ツアーが開催されました。今回は「中津に名物ハモ料理の神髄と干潟の営みを探る」というテーマで中津城・福沢諭吉旧家・筑紫亭・中津干潟を散策しました。
中津城に到着した一行をお出迎えしていただいたのが、「中津の郷土史を語る会」の会長 山本博史さん。中津城とその周辺の城下町についてガイドをしていただきました。
中津城内をご案内していただき、次に昨年の大河ドラマになった「黒田官兵衛」が中津城に滞在していた頃に築かれた石垣を見学しました。
向かって右側が黒田官兵衛が築いたと石垣、左側が江戸時代に築かれたもので、官兵衛が築いた石垣は「牛蒡積み」と言われる手法が用いられているとのこと。水害に強い積み方とされ、江戸時代はものを見栄えを重視した積み方になっており、それと比較すると実践的な石垣であると説明していただきました。
次は、大分県が誇る偉人「福沢諭吉」の旧家を訪れました。資料館では、福沢諭吉が描かれている一万円札の一号札など福沢諭吉のゆかりの貴重な品や歴史を知ることができました(館内撮影禁止のため、ご覧になりたい方はぜひ足をお運びください)。
昼食会場までは、中津城下町を散策しながらむかいました。途中には、黒田官兵衛の弟が開基した「西蓮寺」や宇都宮鎮房の家臣たちが惨殺されたことで、白壁が赤壁に塗り替えられたという「合元寺」など黒田家ゆかりの地が立ちならんでいました。
城下町をぬけると本日のお楽しみ、ハモ料理をご提供してくださる「筑紫亭」に到着しました。風情ある日本料亭と女将さんにお出迎えしていただきました。
女将さんより、中津で獲れる良質な「真鱧」は日本中でも中津しか獲れないという話や、それを育む中津の素晴らしい自然の話などを紹介していただきました。最高級の「真鱧」のしゃぶしゃぶや中津の郷土料理でお菓子の原点とも言われる「巻蒸(けんちん)」など美味しい昼食をいだだきました。
食事後は、筑紫亭に遺る戦争遺産である傷跡を見学させていただきました。特攻隊員が出撃前夜に訪れた際に刀で柱に斬りつけた痕が遺されており、特攻隊員のやりきれない気持ちを感じ、改めて平和の意味を考えらせられました。
午後からは、「NPO法人 水辺に遊ぶ会」の足利由紀子会員のご案内のもと中津干潟にむかい、干潟遊びをおこないました。中津干潟には、「カブトガニ」をはじめとした約600種の生物の生息が確認されているとのことですが、その約3割が絶滅危惧種に登録されているとのことでした。カブトガニや貝などを見つけ、童心にもどりながら自然保護の大切さを学びました。
今回の魅力体験ツアーでは、中津の歴史と自然を体験することができました。
次回はの魅力体験ツアーは10月を予定しております。ご参加をご希望される方は、事務局までお問合せください。