一般社団法人 大分学研究会

大分の魅力を多面的に明らかにして県内各地の観光・地域振興に資することを目的にしています

TEL.097-538-9731
FAX.097-538-9724

〒870-0021 大分県大分市府内町3-8-11

2017年

第3回 おおいた遺産モニターツアーが開催されました

平成29年10月29日(日)に第3回となるおおいた遺産モニターツアーが開催されました。

今回は玖珠・九重方面のおおいた遺産を巡るツアー、

はじめは玖珠町の「わらべの館」へ行きました。

現地で玖珠町教育委員会の森さんと合流後、最初は同じ敷地内にあります旧久留島氏庭園へ。

こちらの庭園は「藩主御殿庭園」と「栖鳳楼庭園」、「清水御門前庭」の3つから構成されており、

現在、国の名勝に指定されております。

そして、こちらの庭園はここから3つの「国指定」を見ることができます。

もちろん一つは「旧久留島氏庭園」、

残りの二つが史跡で国の指定を受けている「角牟礼城跡」と天然記念物で国の指定を受けている「大岩扇山」になります。

当日は雨だったため、どちらも現地へ行くことはできませんでしたが、一か所で3つの国指定が見れるということで、

こちらの庭園はとても人気があるそうです。

こちらの写真の奥の山が角牟礼城跡があります角埋山になります。

霧がかかってほとんど見えなかったのですが、先ほどの写真の反対を向いた方角が大岩扇山になります。

 

晴れていれば、現在角牟礼城跡にて修復が行われております穴太積みという石垣を見る予定でしたが、

あいにくの雨だったため、わらべの館内にて、角牟礼城跡や久留島氏について、お話を伺いました。

 

角牟礼城の築城に関しましては源為朝が造ったという伝説が残っておりますが、

確実な名前が出てくるのは15世紀ごろの文献からになります。

その頃の玖珠周辺は森氏が納めており、森氏の居城として代々受け継がれていきました。

大友時代の戦乱では薩摩の島津軍が豊後へ攻め入った際、

他の城が次々と落城する中、岡城などとともに生き残った数少ない城の一つでした。

そんな角牟礼城跡が注目されるきっかけとなったのが、前文でも記しました「穴太積み」という石垣になります。

穴太積みとは自然石を積み上げた野面積みの石垣なのですが、滋賀県大津の穴太という地域にいた石工集団である「穴太衆」が手掛けた石垣のことを指します。

さて、代々森氏が納めていた玖珠周辺の森藩ですが、関ケ原の戦い後は愛媛県の伊予から来た久留島氏が藩主となります。そして、久留島氏庭園などが築かれていく、という流れになります。

 

 

こちらでは福岡教育大学名誉教授の清田義雄氏が収集した全国の郷土玩具が展示されておりました。

 

続いては豊後森駅機関庫へ。

こちらの転車台と扇状の機関庫が特徴的なもので、近代化産業遺産に認定されております。

上記写真の中心にあるのが転車台で、こちらに機関車を乗せ、回転をさせていたそうです。

そして、機関庫に等間隔に設置されている柱の間が機関車の格納場所となるため、

転車台で各格納庫の場所まで回してから、機関車を入れていたそうです。

 

豊後森駅機関庫の見学後は玖珠町から九重町へ移動し、昼食会場へ。

今回の昼食は「渓流の味 たなべ」さんにて特製エノハ御膳をいただきました。

 

 

昼食後は色付き始めた紅葉と幾本も流れる滝を眺めらながら九酔渓を通り過ぎ、

次なる目的地である「九重夢大吊橋」へ。

午後になり何とか雨はやんでいたのですが・・・

写真のように、霧がかかった状況でした。

晴れた日であれば、今の時期はきれいな紅葉が大パノラマで広がっているのですが・・・。

何とか合間に吹く風によって見えた滝が下の写真になります。

 

夢大吊橋の後は今回のツアー最後の目的地となる長者原ビジターセンターへ。

こちらには国際的に重要な湿地に関する条約である「ラムサール条約」に登録をされた坊ガツル・タデ原湿原について展示などがされております。

はじめに湿原でおこなわれている野焼きに関する映像を観ました。

映像では今日も野焼きを続ける理由について説明がされておりました。

くじゅう山群の人々にとって、その生活は牛や馬が農業の動力として重要な役割を占めていました。

その牛や馬を放牧するためにも、草原というものが必要不可欠となります。

もし、草原に人の手が入らない(野焼きをしない)状況になると、

みるみる木が生い茂り、森林となってしまいます。

そうなった場合は牛や馬の放牧がおこなえなくなってしまうため、野焼きによって草原を保ってきました。

農業に機械が取り入れられる前は、日本もいろんな所で野焼きがおこなわれていましたが、

現在は農業の機械化が進み、野焼きをやる地域も減少しているそうです。

そうした中でも、こちらの湿原が野焼きを続けるのには、今の生態系を守るため、という理由があります。

例えば「ヒゴタイ」という日本ではくじゅうをはじめ一部の地域でした生育していない植物がありますが、

こちらは中国などの大陸に生育する植物になります。大昔に大陸と日本が繋がっていたという貴重な情報を持った植物であります。こういった、くじゅう独特の生態系を守るため、現在も野焼きによる保全がおこなわれているそうです。

 

さて、こうした保全活動の一つで現在問題となっているのが、特定外来生物の存在です。

タデ原湿原でも「オオハンゴンソウ」などの生育が確認されており、職員の皆さんや地域の方、ボランティアの方の手によって、現在駆除活動がおこなわれているそうですが、それでも手が足りていない状況とのことです。

もとは観賞などの目的で海外から輸入された動植物が、本来いる生物たちの生態系を壊してしまうという状況に、現在は外来生物法という法によって、栽培や飼育・運搬・保管が禁止されており、違反をすると罰則があるとのことです。

もし、特定外来生物に指定されている動植物を見かけた場合は、拡散を防ぐために適切な処理方法をおこなう必要があるそうなので、皆様もお気を付けください。

 

最後は小雨でしたが、タデ原湿原を少し歩きました。

今回は入り口まででしたが、晴れた日はウォーキングコースを歩き、様々な植物や昆虫を眺めることができます。

また、花の見どころは5月から9月ということでしたが、

冬から春にかけては上記しました野焼きがおこなわれたりします。

くじゅうの言葉で「春は黒」という言葉があるそうですが、こちらは野焼きで黒くなった山を示しているとのことです。

 

 

今回のモニターツアーでは玖珠・九重方面を巡りましたが、一部天候に泣かされる場面もありました。

晴れた日であれば、紅葉も色づく今は、まさに観光に適した季節だと思いますので、

皆様も是非、これからの季節の玖珠・九重を楽しまれてください。

 

 

さて、次回のモニターツアーは年内最後になりますが、12月17日に毛利空桑を中心とした大分市内のツアーを計画しております。

詳細につきましては11月25日の大分学研究会例会にて発表いたします。

また、25日の例会は11月3日におこなわれます「第5回しんけん大分学検定」の表彰や、

その際におこないます「大分学検定イメージキャラクター選挙」の結果発表などもおこなう予定となっております。

第2回 おおいた遺産モニターツアーが開催されました

平成29年8月27日(日)に第2回のおおいた遺産モニターツアーが開催されました。

 

今回は文殊仙寺の副住職で〈宇佐国東半島を巡る会事務局長〉をされています秋吉文暢氏に現地講師をしていただき、

六郷満山開山1300年となる宇佐市・豊後高田市・国東市の神社仏閣を巡りました。

最初は宇佐市の「宇佐神宮」へ。

いわずとしれた全国八幡宮の総本宮となる「宇佐神宮」。

ここは神仏習合発祥の地と言われており、

他にも「放生会」や「神輿」の発祥地を言われております。

放生会・・・元々は仏教の殺生を戒める儀式であり、宇佐八幡宮では蜷が放されるそうです。

神輿・・・東大寺建立という一大事に御神体が駆けつけるために用いたのは神輿の発祥と言われているそうです。

 

昔はこの鳥居を入って右側に「弥勒寺」というお寺があったそうで、

同敷地内に社寺が共存していた点も神仏習合が深く根付いていたことをうかがわせます。

現在は宝物館などの建物が建っております。

こちら写真向かって右側奥に弥勒寺の伽藍の礎石が残っております。

現存する礎石が奈良の薬師寺と同じ配置であり、伽藍自体が残っていれば貴重な歴史資料になったと考えられてます。

弥勒寺跡地の反対から上宮本殿へ。

建造物には上の写真のような装飾が施されているのですが、

こちらの装飾、左右の穴になっている箇所がハートのように見えるということで、最近では恋愛成就のお願いをされる人もおられるようですが、本来は「猪の目(いのめ)」といい、猪が山火事を最も早く見つけることから、火事対策の願掛けとなる装飾のようです。

宇佐神宮の本殿ですが、写真で写しているのは楼門部であり、本来はその間から、本殿の神様へお参りをいたします。

向かって左から一之御殿、二之御殿、三之御殿となります。

また、本殿前には下記写真のように、奥の院があります御許山が見える窓もあります。

奥の院があるところは聖地として人の出入りが禁じられている山の中になりますので、こちらでお参りを。

宇佐神宮も広範囲であるが故、世界遺産に指定されている日光東照宮のように、

毎年どこかが修理中となっているそうです。

帰りは登ってきた道とは別の道を降り、こちらの下宮へ。

こちらの下宮に寄らないことを、宇佐地方では

「下宮参らにゃ、片参り」と言われているそうです。

 

宇佐神宮を出て、お次は昼食。

今回は豊後高田市の昭和の町の中にあります「平清水旅館」さんにてお蕎麦をいただきました。

こちらは併設されているお蕎麦屋の「翔」が豊後高田そばの認定店になっております。

豊後高田そばの認定店ですが、厳しい決まりがあり、その中に「そばの三たてを守ること」という定義があります。

三たてとは「挽きたて・打ちたて・茹でたて」のこと。

そのため、お蕎麦は注文を受けてから作り始めるとのこと。

おいしいお蕎麦をいただいた後は、出発まで豊後高田市の昭和の街をぶらり。

 

午後のはじめは「富貴寺」へ。

日本三大阿弥陀堂として知られる富貴寺は

大堂が国宝、

大堂内壁に描かれている壁画と本尊の阿弥陀如来坐像が国指定重要文化財、

境内が国指定史跡

の指定を受けております。

特に大堂は現存する平安建築としてとても貴重なものであります。

富貴寺のパンフレットには四季折々の富貴寺の写真が載っているのですが、何ともカッコいい仕上がりになっております。

今回は「夏」の富貴寺の写真です。

富貴寺境内は入口から中まで、笠塔婆や板碑など数多くの石造美術が並んでおり、そのいくつかが県の有形文化財に指定されております。また、こちらの本堂には阿弥陀三尊像が安置されており、大堂の本尊同様に平安時代の作と考えられ、県の有形文化財の指定を受けております。

富貴寺の次は国東市に入り、「両子寺」へ。

国東半島の中心にある両子山。その中腹にあるのが両子寺で、

江戸時代以降六郷満山の総持院として全山の統括をされるお寺とのこと。

こちらの護摩堂にて、住職から両子寺の歴史などについてお話をうかがいました。

両子寺の奥の院本殿には千手菩薩と両子大権現(男女二天童子)という神仏がともに祀られており、

六郷満山の総持院である両子寺でも神仏習合の流れを強く感じることができます。

こちらの両子寺は特に子授けの祈願が有名であり、「申子子授け祈願袋」という特徴的な祈願方法があるそうです。

申子子授け祈願袋・・・祈願者は子供を産んだ32人の女性からハギレをもらい、自分の1切れを合わせた33切れで袋を縫い、その中に米一升三合三勺を入れ、12束の線香と12本のローソク、御酒一升とともにお供えし、祈願を受けるそうです。

なお、祈願日は午の日に必ず夫婦同伴とのこと。また、願いがかなった夫婦は毎年一度は子供とともに参拝をしなければならないとのこと。

 

 

護摩堂内でのお話の後に、隣接する書院・客殿にて一休み。

当日は晴天でかなり暑かったため、皆さん汗が止まりません。

そんな中、梅ジュースとスイカと漬物をごちそうになりました。

一休みして体力を回復し、いよいよ最後の「文殊仙寺」へ。

 

「文殊仙寺」は現在、秘仏特別御開帳がおこなわれております。

本来の御開帳は卯年の大祭の時にしか行われないため、12年に一度なのですが、

今年は六郷満山開山1300年の100年一会の年として、6年ぶりの特別御開帳がおこなわれております。

なお、卯年の理由としましては、文殊仙寺の本尊である文殊菩薩が卯年の守護仏だからとのことです。

文殊仙寺に行かれたことがある方は300段の石段を思い出されることでしょうが、ご安心ください。

現在は本堂近くまで車で行ける道が作られております。

本堂までの残り80段は自力で登っていきます。

こちらの本堂内にて、今回護摩焚き供養をしていただきました。

参加者一人一人の名前と願いを書いた木を焚いて祈願をしていただき、

その後、本堂奥に安置されております、秘仏である本尊をお参りいたしました。

こちらの本尊は青銅製の文殊菩薩像で、1200~1300年前に中国で作られた渡来仏とのことです。

秘仏の決まり事として、『写してはならない・写したものを公開してはならない』という決まりがあります。

そのため、撮影や模写が一切禁じられております。

また、過去に何度も文化財指定のお話も受けているそうですが、

指定を受けることで、1300年続く祈りの形が変わってしまう恐れがあるため、

指定の話はお断りしているそうです。

 

さて、こちらの本堂、本尊とともに鏡や御幣も祀られており、こちらも神仏習合の流れを強く感じることができます。

また、本尊と鏡は参拝者と目線が一致する高さに備えられております。

これは写し鏡を表しており、「すべての衆生に仏性がある」ということを意味しているそうです。

仏性とは生まれながらに仏になれる性質を持っているということで、

全ての人が仏になれる性質をもっているというのが仏教の教えであり、

それを鏡や御幣、本尊の配置で表しているそうです。

今回のモニターツアーでは開山1300年にあたる六郷満山の神社仏閣を見学いたしました。

写真を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、

今回のブログでは各寺社の中心となるもの(本尊や本殿内部など)の写真は載っておりません。

ツアーでは各神社仏閣の本尊や本殿をお参りしているのですが、

基本的には撮影が禁止となっております。

ですので、是非ご興味のある方は自分の足で国東半島の神様や仏様たちに会いに行き、

ご祈願をしてみてください。

余談ですが、国東半島には69,338体の仏像があるそうです。

 

さて、次回のモニターツアーは10月開催の予定になっております。

詳細が決まり次第、こちらのブログやホームページからもご紹介いたします。

第37回大分学研究会例会が開催されました

平成29年7月22日(土) 大分学研究会第37回例会が開催されました。

今回の例会のテーマは「国東六郷満山開創1300年に向けて国東半島の山の歴史と景観を考える」とし、

基調発表は田本政宏会員(国東高校双国校教諭)より

「国東六郷満山の基礎知識」と題して

今年で開山1300年と歴史ある、また奥深い六郷満山についての発表がありました。

今回も総勢50名を超える聴講者の皆さんが参加されました。

基調発表後、六郷満山開山1300年記念のイベント紹介や、いまだ謎の多い国東半島に昔から伝わる「奇祭」についてなど、

田本会員と聴講者の皆さんとの意見交換が活発に行われました。

会員だよりでは、イベント紹介が。

続いては楢本事務局長より第2回おおいた遺産モニターツアー事前学習会がおこなわれました。

8月27日(日)に行われる同モニターツアーの見学先を紹介しました。

今回の六郷満山の知識を引っ提げての宇佐市・豊後高田市・国東市のコースです。

次回例会もご期待ください。

 

第1回おおいた遺産モニターツアーが開催されました

平成29年6月25日(日)第1回おおいた遺産モニターツアーが開催されました。

このツアーは、全5回のシリーズで行われ、大分県の地域遺産を網羅した「おおいた遺産」を実際に見学することによっ て貴重な文化遺産の意義を理解し、次世代に保存・継承していく機運を醸成し ていくことを目的としています。

今回のツアーは速見(別府市・日出町)を巡りました。

朝は多少の雨が残っていましたが、最初の場所「聴潮閣」に着く頃には、傘がいらないお天気になりました。

国登録有形文化財「聴潮閣」

大分県財政界の重鎮高橋欽哉が住宅兼迎賓館として建てたもの。

建設当時は別府浜脇に海辺にあり、まさに「潮の音を聴く」にふさわしいロケーションにありましたが、

1989年に現在の山の手に移築され、保存、公開されています。

館長の高橋鴿子さんが、「聴潮閣」の沿革や見どころを紹介してくださいました。

四面柾、台湾ヒノキといった贅沢な木材を使った和室、まるでヨーロッパにいるかのような洋風の来賓室、小川三知製作のステンドグラス輝くお風呂、雨に濡れた中庭、

そしてヒノキの香りが漂う「聴潮閣」はずっとそこにいたくなるような居心地の良い空間です。

次の場所は別府市内成地区の棚田。

別府市の端、由布市との境にあります。

当日は田植えの時期で、植えたばかりの苗が整然と並べられていました。

内成地区の棚田はおよそ1000枚!どこまでも続く棚田はこの田植時期と、秋の収穫時期は特に見栄えがします。

ここからは別府市役所の永野康洋さん(NHK「ブラタモリ」別府編に御出演)がご案内。

日本の棚田百選にも選ばれている内成地区、江戸時代からこの地区で棚田がおこなわれていたそうです。田の石垣は明治大正時代に整備されたもの。一大整備だったことがうかがわれます。

次の場所は神楽女湖。

神楽女湖はショウブの花が一面に咲いています。まさに見ごろの時期に訪れることが出来ました。

少し離れた駐車場から神楽女湖へ続く道は鳥の鳴き声が聞こえてきて、リラックスできます。

お楽しみの昼食は鉄輪「黒田や」で地獄蒸しを堪能。

午後のはじめは別府の湯けむり展望台から湯けむりを眺めました。

続いては重要文化的景観に指定されている明礬温泉の湯の花小屋。湯の花製造は重要無形民俗文化財に指定されています。

 

この小屋周辺一帯は温泉脈がすぐ下にあるため、地面が温かいです。地下で発生している硫化ガスと地元で取れる青粘土との化学変化で出来る「湯の花」は

全国でもここだけ。

 

湯の花製造についての説明のあと、実際に湯の花小屋へ、

温泉卵を食べました。

普段食べているゆで卵とは色が違います。温泉の成分によって味や色が違うそうです。

鉄輪と明礬で温泉卵を食べ比べてみては?

次の場所はキリシタンゆかりの場所へ。

ここからは日出町観光協会佐藤隆さんがご案内。

日出藩主木下延俊の重臣加賀山半左エ門はキリシタンで彼の家族もキリシタンでした。

キリスト教に寛容だった時代が過ぎ、禁教令が幕府から布告されたとたん、キリスト教に対する弾圧に対して木下延俊も従う姿勢になりました。しかし、重臣の加賀山半左エ門は死刑宣告を受けてもなお、改宗しようとせず、ついには、この成敗場で後を追うことを望んだ息子とともに、殉死したのでした。

時は流れて2008年11月20日、ローマ法王庁がカトリック信仰の模範となる信者を称えるために、最高位の「聖人」に次ぐ「福者」という位を加賀山半左エ門に授けました。

それを記念した日出殉教公園が成敗場の隣に整備されています。

続いては重要文化財「的山荘」

馬上金山の経営者成清博愛が、日出町に建てた別邸で、国の重要文化財に指定されています。「的山」は鉱山を当てるという意味だそうです。

建物も素晴らしいですが、庭園は国の登録記念物でもあります。

庭園の造りは借景技法と呼ばれるもので、高崎山を築山に、別府湾を池に見立てています。

大きなクスノキも目を引きます。

建物の中も見どころがいっぱい。

大広間には一枚板の筬欄間、建築当時の手作りガラス、七宝焼きで作られた襖の引手金具、洋風ランプ、伊藤博文の書など、

成清家の繁栄が感じられる場所です。

最後は日出・暘谷城跡。

城跡に小学校があります。

今回は珍しい造りをした鬼門櫓のご案内。

城内の東北に位置したこの櫓は風水で言うところの「鬼門」を差し、忌み嫌われている方向でした。

そこで、東北にあたる隅を欠くことで禍が入ってこないようにしたとされます。

鬼門櫓は所有者が変われど、現代まで残っており、当時所有者であった中村氏より日出町が寄附を受け、平成22年から2年間の復元工事を経て

町の指定文化財となりました。

修復・復元前の鬼門櫓。

隅を欠いた建築様式は全国的にも珍しいそうです。

鬼門櫓については建物内でガイドしてくれます。

 

今回はおおいた遺産モニターツアー別府市・日出町編でした。

次回は8月27日(日)宇佐市・豊後高田市編です。

どこへ行くかは次回7月22日(土)14時からの事前学習会で。

場所はコンパルホールとなっております。

是非ご参加ください。

 

 

第36回 大分学研究会例会を開催いたしました

平成29年5月28日(土) 大分学研究会第36回例会が開催されました。

今回の例会会場は別府市にある「別府市公会堂」

平成26年10月に着工した耐震補強・バリアフリー化のための改装工事は

平成28年3月に完了し、これまでの「中央公民館・市民会館」から「別府市公会堂」としてリニューアルされました。

今回の例会の前には、改装された堂内を見学しました。

張り替えた座席の後ろに以前の座席が一部残されています。

サイズが少し小さいです。当時の日本人の体形が現在より小さいことが推察できます。

大理石はそのまま。

これもほぼそのまま。

ステンドガラスもそのまま。

フランスの有名ピアノ家アルフレッド・コルトー(1877年~1962年)が実際に引いた「ヤマハ」のグランドピアノ

いつもアメリカ製のスタインウェイのピアノしか弾かない彼が、昭和27年、公会堂で行われるピアノ開きの記念演奏会の際に

用意された「ヤマハ」のピアノを前に、「せっかく用意してくれたから」とこのピアノで演奏したそうです。

後にも先にもスタインウェイのピアノ以外を引いたのがこの時だけだったようで、今でも時々ピアノを見学に来られる方がいらっしゃるそうです。

 

今回の例会のテーマは「別府の誇りとなる場所を考える」とし、

基調発表は姫野由香会員(別府の誇り分科会座長、大分大学工学部助教授)より

「地域資源としての歴史的建造物の活用事例にみる今後の展望」と題して

大分学研究会でも行われたアンケート調査結果や、歴史的建造物の活用における実態・課題等の発表がありました。

今回の例会参加人数は会員57名、一般参加が8名の計65名となり、関心の高さがうかがえました。

 

関連発表では室屋慧子会員が自身の別府竹瓦ガイド活動を通して愛するわがまち別府への想いを熱くお話ししてくださいました。

その後の意見交換では、別府の地域資源となり得る歴史的建造物の活用、保存活動について様々な意見が交わされました。

時代に対応しながら変わっていく街並みの歴史変遷を受け入れる想いと、いつもまでも変わらずにいてほしいという想いと、保存活用に向けて何をすべきか、考えや想いは十人十色のようです。

 

続いては楢本事務局長より第1回おおいた遺産モニターツアー事前学習会がおこなわれました。

6月25日(日)に行われる同モニターツアーの見学先を紹介しました。

全5回のツアーで、貴重な大分県内の文化遺産を次世代に保存・継承していく機運を醸成することを目的としています。

併せておおいた遺産守り人・ジュニア守り人養成講座も開催しています。

興味ある方は大分学研究会HPのトップページ、トピックス・お知らせ欄からアクセスしてみてください。

第27回おおいた魅力体験ツアーが開催されました!

平成29年4月23日日曜日、快晴の中、29名が参加して佐伯の海の魅力を満喫しました。

午前中は、㈲戸高水産の戸高源之助社長の格別のご協力で蒲江湾内をクルージング。海の幸満載の昼食の後、鶴見半島を最東端まで。

昼食時には、橋本正恵副会長(佐伯市観光協会会長)から蒲江の魅力についてお話をしていただきました。

 

今回は絶好の行楽日和で、クルーズ・岬めぐりをするには最高のコンディションとなりました。

(有)戸高水産が所有している、明石型活魚運搬船、しかも今となってはとても貴重な木造船である「盛漁丸」で湾内をクルーズしました。

船主である(有)戸高水産 戸高源之助社長。

盛漁丸にいざ乗り込み。

船内のこだわり。

青い海と空に映える白い木造の手すりが最高です。

養殖の餌やりを特別に見せてくださいました。

写真中央のホースからペレット状になった餌が飛び出てきます。

活魚船盛漁丸はこの日もクルーズが終わったら姫路まで活魚を運びます。

船内を区分けした水槽に海水を入れて、枠ごとに魚を入れる準備も見せてくださいました。

 

蓋を外します。

蓋の下には区分けされた水槽があります。

その中に何の魚を入れるかをホワイトボードに書いて確認。

 

水槽に海水を入れる準備を始めます。

深さ2メートル以上ある水槽を軽々と昇り降りして作業をするみなさん。

海水が入ります。

この中に魚を入れて姫路まで。

木造船でも現役バリバリの頼れる船です。

その船でお仕事をされているみなさん。 若い世代の方もいて頼もしい限りです。

操縦している戸高社長。

今回は希望した方に船の操縦を社長自ら教えてくださいました。

穏やかな湾内クルーズ

参加者の皆さんもいい笑顔です。

船上で記念写真。

降りての集合写真。

 

気持ちいいクルーズのあとは昼食。

佐伯市観光協会名物副会長橋本正恵さんがお出迎え。

つつじの御品書きとともに。

イケメン料理長より、本日の料理の説明が。

佐伯市はイケメンが多いとのつぶやきがちらほら。

改めて戸高社長のご挨拶。盛漁丸乗船記念のステッカーをいただきました。

橋本正恵さんのお話。佐伯は女性が元気いっぱい。

 

午後からは鶴見半島岬めぐり。

午後一に降り立ったのは丹賀砲台園地。

丹賀砲台園地の説明をしてくださいました「砲台を守る会」代表の小林直幹さん。

砲台へ向かう斜坑リフトのリニューアルで新しいスロープカーに乗って頂上まで。

傾斜は45度。隣の階段は130段程。自力で登ってもOK。

登りついた先は要塞の中。

この要塞の上に巡洋艦「伊吹」の大砲が備え付けられていたそうです。

らせん階段を上ると、

豊予海峡が。

豊予海峡や豊後水道には太平洋戦争中に防備のため、このような砲台がたくさん整備されていたそうです。

穏やかな景色が広がるこの高台で、平和の尊さを感じずにはいられません。

 

ツアーの締めくくりは鶴見半島の端、九州の最東端でもある鶴御崎へ。

鶴御崎灯台で集合写真。

最東端のスポットまで、今日は最高の天候なのでみなさん元気に足を進めます。

鶴御崎灯台にはこんなところが。

ここだけでなく、佐伯の岬の所々に鐘が設置されています。

願いを込めて鳴らすと良いことが起きそうな、そんな気分にさせてくれる景色でした。

今回のツアーガイドをしてくださいました佐伯市観光協会では佐伯の魅力を伝えるべく、イベントを絶賛企画・運営中です。

造船の町ならではの進水式見学、岩がきまつり、筆者個人的に気になった深島、佐伯のモナコ・・・

ゴールデンウィーク突入、お出かけするなら「太陽とお友達の佐伯市」も選択の一つに是非!

青い海の景色と幸をたっぷりと満喫できたおおいた魅力体験ツアー佐伯市編でした。

 

 

 

第26回 おおいた魅力体験ツアーを開催しました

2月26日(日)、今回のおおいた魅力体験ツアーは

~日田の「ひな飾り」と中津江村の鯛生金山跡を訪ねて~と題し、

江戸時代に栄華を極めた日田の商人文化を今に伝える「ひな飾り」と、

松本清張『西海道談綺』の舞台鯛生金山跡を訪ねました。

中津江村では、2002年FIFAワールドカップでカメルーン代表のキャンプ地として中津江村の名を国の内外に知らしめた立役者の坂本休元村長から

カメルーンとの秘話などをお聞きしました。

 

日田市豆田町に到着。

 

一般社団法人日田市観光協会事務局長の木下周会員がお出迎え。

豆田町を案内してくださいました。

ひな飾りで町おこしのさきがけ日田市、この日は大勢の観光客が訪れていて

活気にあふれていました。

街並みの「止まれ」はこんな工夫が

 

 

まずは広瀬資料館へ

中島館長より館内の説明と詩吟の披露がありました。

資料館には広瀬家代々の功績や所蔵品がずらり。

 

 

この時期はひな飾りもありました。

 

続いては草野本家のひな飾り

残念ながら撮影が禁止のため画像はありませんが、

20畳の奥座敷いっぱいに並べられたひな飾りは草野家の栄華が反映された素晴らしいものでした。

草野本家はひな飾りだけでなく、年4回、四季に沿った公開をおこなっています。

次回は4月から5月にかけて端午の節句と武者人形が見られるそうです。

 

続いてはおきあげ雛の展示会へ

制作風景も見ることが出来ました。

館内にはたくさんのおきあげ雛が。

型紙や色付け道具なども展示していました。

 

昼食は「そば処 草八」

おいしいお蕎麦とお料理。

 

 

午後一番はクンチョウ酒造へ。

日田市観光協会会長富安会員のお出迎え。

酒蔵を利用した酒造道具の展示が興味をそそります。

そしてやっぱり試飲。きりっとした味わい。何本買おうかな。

豆田の町をしばし散策したあとは一路日田市中津江村へ

「地底博物館 鯛生金山」に到着すると

元中津江村村長の坂本休会員がカメルーンの国旗を振ってお出迎え。

 

 

鯛生金山跡へいざ入坑

坑内には当時の労働者を模した人形があちこちにあって当時の坑内の様子が手に取るようにわかります。

 

 

こんな工夫も!

金山跡を出るとそこはワールドカップの世界が。

 

 

坂本会員はカメルーンにビザなしで入国できるそうです。

中津江村の人たちの心温まるおもてなしが、カメルーンと中津江村の絆つくりに一役も二役もかったことは

この展示施設からも、坂本会員の人柄からもうかがえます。

金山見学の後は坂本会員との茶話会

当時は金山のおかげで飲食街や映画館などが建ち、村がにぎわっていた様子などもうかがうことが出来ました。

現在ではワールドカップでカメルーンの練習場として誘致して以降、子供たちのサッカークラブの合宿や試合会場として

スポーツ振興の面で役目を果たしています。

中津江村にはキャンプ場やフィッシングパークなどアウトドアで楽しめる場所もあります。

 

鯛生金山ではなんだか懐かしい社会見学の気分を味わえた今回の魅力体験ツアー。

次回の魅力体験ツアー、是非ご参加お待ちしています!